パワースポット中国エリアVol.9
引き続き中国エリアのご紹介していきますね♪卒業式や入学式でお金のかかる時期になってきましたね。今日はそんな時にピッタリのパワースポットのご紹介です!金持神社
その縁起のよい名前から、金運・開運祈願の神社として広く信仰を集めている。このため、ジャンボ宝くじ発売シーズンになると参拝者が増えようです。
御祭神
天之常立尊(あめのとこたちのみこと)
八束水臣津努命(やつかみずおみずぬのみこと)
淤美豆奴命(おみずぬのみこと)
天常立尊を御祭神とする全国でも数少ない神社。国土経営、開運、国造りの神様をお祀りしています。
由来
810年出雲の神官の次男が、伊勢神宮参拝のためこの地を通りかかったところ、お守りとして身につけていた神前の目付の玉石が急に重くなりました。そして、この地に宮造りするよう神夢があったので、宮造りしたと伝えられています。
金持郷は、昔、黄金より勝ると言われた「玉鋼」の産地で、原料の砂鉄が採れる谷を多く所有し、金具の文字で表されているように、鉄(てつ)のことを金(かね)と読んでいた事から、金の採れる谷を多く持つ郷「金持」と呼ばれるようになったと伝えられています。
「金持景藤公が必勝祈願」
この地の豪族、金持景藤は、1333年、隠岐を脱出された後醍醐天皇を奉じて討幕の軍に参加し大活躍しました。その際、金持神社に必勝祈願し、神前の戸帳を御旗にしたと伝えられています。京都への遷幸の折には、天皇の右側に名和長年公・左側が金持景藤公で「錦の御旗」を持ち上洛しました。金持大和守景藤公のお墓と伝えられている宝篋印塔が金持地内に現在も残っています。
開 運 伝 説
「長谷部信連公の再起」 平家物語や源平盛衰記など多くの古書で快男児としてうたわれている長谷部信連公。1180年、後白河法皇の第二皇子の平氏追討計画が事前に発覚、信連公は密かに皇子を宮殿から脱出させ、孤軍奮闘しました。そのため七年間、金持郷に流刑の身となりました。その間に日野町にとって大切な延暦寺、長楽寺、祇園神社などを残しています。平氏滅亡後、源頼朝御家人七人衆の一人として、安芸国宮島の検非違使、能登国の地頭職として山中温泉の発掘等を手がけ、のちに加賀百万石前田家の筆頭家老職(穴水城主)として明治まで続く長氏の始祖となりました。
ん~名前も凄いですが伝説も凄いですね~!
正に金運のパワースポットですね!
次回も中国エリアのご紹介です!
電話占いユーザーの皆様!お楽しみに♪
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